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 標高3683m、チベットの都ラサに着いた時、意識は朦朧として体はふらふらで、まともに歩くことさえ困難な状態だった。

 高度への順応ができず、チベット行きを断念した妻とシルクロードの果てウルムチで別れ、一人チベットを目指すことになった僕は、 蘭州まで二泊三日の列車で引き返し、 蘭州到着の朝たまたま駅前で見つけた三泊四日のラサ行きのバスに飛び乗った。本来外国人がチベットに入るには、 国営旅行社の許可を得た上で中国人の数倍もの料金を支払わなくちゃならない。許可はともかく、節約型長期旅行者にとって同じサービスに対 して現地人の数倍の料金を支払うということは遺憾の極みである。褒められたやり方ではないが、僕は車掌に直接交渉して、まんまと中国人料金 で乗り込むことに成功した。ラサまでの道中、公安による検問が何回かあることは知っていた。見つかったら、バスを降ろされて下界に強制送還 される。車掌も心得たもので、僕は入り口から最も確認しにくい一番後ろの二階の窓際の席を与えられた。

 バスは途中五千m級の峠をいくつか越えてラサに向う。そして出発してすぐに、僕は乗ってはいけない物に乗ってしまった事に気が付いた。 バスは例の寝台ボロバスで、横になれるのはありがたいが地面の起伏を余す所なく振動に変え、体と 内臓を揺らし続ける。常に後頭部が硬い枕をノックし続け、十分に一度は体全体が宙に浮き、更に一時間に一度くらいは二階の床から六・七十センチはある天井に頭をぶつけて 落下する。これは遊園地のアトラクションの話でなくバスという乗り物の話なのだ。ホントに。
 
 でも、「地獄に仏」とはよくいったもので、僕の隣には、まさに仏様のような中国人が乗り合わせたのだ。眠ることもできず、高度の 影響による激しい頭痛と発熱で、あっというまに食欲を無くし、休憩の時にバスから降りるのさえ辛くなっていた僕に、食事の都度、自分の みかんやらパンやらを分け与えてくれ、食べなきゃだめだと身振り手振りで励ましてくれた。ほうほうの体でラサに辿り着いた後も、足取りの 覚束ない僕をタクシーで宿まで送ってくれ、差し出したタクシー代も固辞し、名前さえ名乗らず去って行った。後光が差していた。チベットを 抑圧する中国政府のやり方は納得できないけど、彼のような中国人がいる限り、中国人は憎めない。

 チベットは憧れの土地だった。「とても青い」といわれる空を見てみたかった。その青い空の下で暮らす人達に会ってみたかった。そしてやっぱりチベットは僕にとって忘れられない場所になった。吸い込まれそうな濃い青の空、乾いた空気、草木の生えない荒涼とした大地、風の丘になびくタルチョ。三途の川を思わせるような清い水の流れる川を巡礼の一団をのせた小船が進む。巡礼者の撒いた紙吹雪がハラハラと舞い、清流に溶けてゆく。チベットの魅力は、別世界のような景観と信仰に生きる人々の姿に集約される。

      大昭寺(ジョカン)の前で祈りを捧げる人達

 ラサに大昭寺という寺がある。チベット仏教の総本山にして巡礼者の聖地。寺の中は本堂をコの字型に回廊が囲み、回廊に沿っていくつもの小さな仏堂が並ぶ。巡礼の人々は常に途切れることのない列を作って各仏堂に安置された仏像群に一つ一つ全身全霊を傾けて祈りを捧げていく。巡礼の人々が持つ燈明によって仏像がうす暗い仏堂の中に浮かび上がり、燈明に使われるヤクバターのむっとするような乳臭い匂いと彼らの祈りの熱気があたりに充満している。僕は人間があんなに激しく熱心に祈るのを見たことがない。ただ、熱心すぎたせいか、そばにいた男はもっていた燈明の火を前のおばさんの後髪に着火させ、僕の目の前でおばさんの髪は一気に燃え上がった。そんな風にして、なんか異様に濃密な空気の中、いつの間にか二時間が過ぎていた。

      大昭寺の中の様子 

 最後に僕のお気に入りの場所。ラサからバスで三時間、渡し舟一時間、乗合トラック一時間くらいでサムイエという村に着く。サムイエは、寺や民家や宿泊所などの建造物の配置がマンダラの形をしていることで有名な村で、他には本当になにも無い。僕は毎日のように村のはずれの小高い丘に登って、その立体マンダラや三百六十度広がる荒涼とした風景を飽きもせず眺めていた。

サムイエに渡る船乗り場・僕が死ぬ時、三途の川を渡るとしたらこの川を渡るはず。 渡し舟で一緒になった巡礼の一行
ひとしきり祈りを捧げた後、皆一斉に紙吹雪をまいた・・・
ハラハラと舞った紙吹雪が澄み切った水面に落ちてゆく
あまりにも現実離れした光景だった・・・
裏の丘の上から見たサムイエの町
寺を中心としたマンダラを構成している。

 サムイエでの生活も何日かたったある日の昼下がり、僕はチンプーという近くの峠まで歩いていくことを思い立った。峠には頂までにいくつかの寺があり、尼僧達が洞穴で修行生活を送っているという。のんびりと歩いた。村を出て、川を渡り、牧草地を抜け、峠を登った。標高は4千mを超え、日本製の高度計は計測不能を表示していた。少し登ると息がきれる。老尼僧に招かれバター茶を御馳走になった。二畳程度の洞穴の中にあるのは信仰の対象と粗末なベッドだけだった。更に登ると別の尼僧に茹でたジャガイモをいただいた。写真をお願いすると、一人の老尼僧はちょっと待ってと家に戻り、マニ車を手に、帽子を頭に戻ってきた。

帽子を被ってはいチーズ、女性はどこでもお洒落です。

 薄暗くなった頃、ようやく頂きに着いた。老尼僧が出迎えてくれ、何故かそのまま祈りの場に導かれた。うながされるまま真っ暗な狭い洞窟のような場所に体を突っ込んだ。二人も入れば一杯になるような広さで何も見えない。蝋燭をつけ何か説明してくれる。ここもまた純粋な祈りの場。とにかく祈らずにはおられない空気・空間。僕は目を閉じて一心不乱に祈っていた。「二人の旅が無事でありますように。ずっと二人仲良く暮らしていけますように。」

                                         つづく・・

 

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