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 どーしても世界一周したかった。たいした理由も目的もなかった。ただ、自分が生きているこの時代の「世界」を気の済むまで見てみたい、旅人と呼ばれるものになってみたい。そう思った。後のことはどうにかなるさと思い込んだ。
 その頃、海外を歩き回るようになって既に10年以上が経っていたが、出かける度に時間の制約に歯がゆい思いをし、いつも後ろ髪引かれる思いで帰国した。いつか本当に自由な旅がしたい、世界中を自分の好きなように歩いてみたい・・そんな思いが募っていった。
 そして、台風が近づきつつある1998年10月16日の朝、僕と妻と色違いの二つの大きなリュックをのせた蘇州号は大阪港を出港し上海に向かった。いつ終わるかわからない旅が始まった。
 
 僕は、結婚する前に、そのうち仕事を辞めて世界一周旅行に出ることを妻に告げていた。彼女はそれを納得して僕らは結婚した。結婚して3年が経った頃、お互いにその時が近づいているのを意識し始めていたが、僕はなかなか言い出せないでいた。 長く続いた日常を脱却するには、相応のエネルギーがいる。それまで積み上げてきたものを一度ご破算にするわけだから、それなりの勇気もいる。 一歩踏み出すことを躊躇していたが、最後は見かねた妻が、背中をポンと押してくれた。だいたいにおいて、彼女の方が思い切りが良い。

身の回りの整理をして無事船上の人となったのが10月16日、厳寒の冬へと向かうチベットを目指していた僕らにとってギリギリの出発となった。それまでの人生、なにがしかのしがらみの中で生きてきたことになる。あらゆるしがらみから解放された状態というのは、 なんか糸のきれた風船みたいで、ふわふわして少し頼りなげで、それでいて風にのってどこまでも飛んでいけそうな妙な心地良さがあった。

 僕の知ってる限り、最も安く日本を脱出する方法は、下関からフェリーで韓国の釜山に渡ることで、これだと片道八千五百円で国外に 出ることができる。舟での中国行きも長期旅行者には人気のルートで、船中2泊3日、2万数千円ビザ代1万円で北京または上海に行くことができる。西へ西へと移動して世界一周することを基本方針としていた僕らにとって、釜山や北京もスタート地点となり得たわけだが僕の中ではスタートは上海と決まっていた。たいした理由はない。旅のスタート地点として、異国情緒溢れる「上海」という響きが「釜山」や「北京」のそれと比べて格段に洒落ているように思われたから。それだけ。

 2泊3日の蘇州号は快適だった。中国人が殆どだったが、僕らの他にも数人の日本人の若者が重そうなリュックを背負って乗り込んでいた。僕らはといえば、 運良く4人部屋を2人で占拠して思う存分夫婦喧嘩をすることができた。無料サービスも充実しており、僕らを含めて利用する人はいなかった ようだが「乗組員による散髪サービス」や「乗組員との卓球対決サービス」など、申し込むのに二の足を踏むようなサービスメニューがならんで いて笑ってしまった。

蘇州号 

 そして、よーやく妻の怒りも収まった三日目の午後、僕らは上海に上陸した。上海は、期待していた「異国情緒溢れる港街」というより 「近代的でお洒落な大商業都市」といったかんじで、その近代的お洒落度においては松山なんか足元にも及ばない。高層ビルがそびえ、 街には洒落たブティックが並び、流行の服に身を包んだ若者達が闊歩する。自転車の人は多かったが人民服は目にしなかった。 その代わり、街中をパジャマ姿でうろうろしているおばさんが多いのに中国を感じた。僕らは何時間も何時間も上海の街を歩き回った。

蘇州号から見た上海

 さて、10月中旬に上海に向かうことが決まった時点で、僕らには一つだけ決めていたことがある。 「上海ガニを食べること。幸運なことに、僕らは上海ガニが一番おいしい時期に上海に滞在することになった。雌が腹一杯に卵を詰め込んでいる。 いつ終わるかわからない僕らの旅にとって、贅沢は敵、倹約は美徳。この後、安い宿、安い飯屋を探して世界中の町を歩き回ることになる んだけど、時には、ある程度の出費を覚悟しても、どうしても食べなきゃならないものがある。上海ガニはその一つだった。 僕らは中国での最初の食事で上海ガニを食べることにした。上海ガニ、一匹70元、当時の為替レートで約千円、現地でラーメン20杯 食べられる値段。既に節約型長期旅行者的思考に移行しつつあった僕らの脳は、「これは最初で最後の贅沢だぞ。」と前置きした上で一匹 の小さな上海ガニを2人で分けて食べる決断を下した。

                                         つづく・・ 

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